口無し道化 3
遊園地に泊まっているのはお兄さん以外にぼくだけだから、一緒にご飯を食べられるのはぼくの特権だ。
クロワッサンにマーマレードをつけて食べるのが、二人のお気に入りである。
「他に作りたいアトラクションはないの?」
ぼくはお兄さんの声をたくさん聴きたくて、いろんなことを質問した。
遊園地で遊んでいる子供の中で、ぼくが最年長。お兄さんと過ごした時間も、ぼくが一番多いと思う。だからお兄さんも、少しずつ心を開いてくれている。
「………観覧車かな」
「観覧車かー、ぼくも乗ってみたい!」
「…この遊園地は狭いから、難しいんだけどね」
確かにそうだ。しかもアトラクションは全てお兄さんが造らないといけない。ぼくが手伝ったとしても、難しいだろう。
人形たちはあんなに元気なのに、操っているお兄さんは意外と大人しい。
子供を相手にしていない時のお兄さんは、人が変わったようになる。でもぼくは、笑顔じゃないお兄さんだって大すきだ。
ただ……ぼくが初めてお兄さんと会った日、お兄さんが助けてくれた日。
あの時父さんに向けていた顔は、あんまり好きじゃない。
とても怖い顔だった。お兄さんはぼくの記憶の中で、あの時だけ、怒っていた。
お兄さんはただの道化師じゃない。
大人にいじめられている子供を助けてくれる、魔法使いだ。魔法使いではないかもしれないけど、普通の人間でもないはずだ。
ぼくが父さんにぶたれて泣いていた、あの夜。
お兄さんは何処からともなくやってきて、ウサギさんでぼくに話しかけた。
『君を、助けてあげるからね』
「大人」が怖くて何も答えられなかったぼくに、ウサギさんは最後にそう言った。
そのまま寝かしつけられて、夜中に起きたら父さんの部屋で話し声がした。
扉の影がらそっと覗くと、お兄さんは、人形劇をしていた。
驚いている父さんの目の前で、母さんと父さんそっくりの人形で。
『どうしてお前はいつもそうなんだ!仕事仕事って、家庭より仕事が大事なのか!ガミガミ!』
『あなたが言ってくれたんじゃない、夢を追いかけなさいって。それなのにどうして変わってしまったの。えーんえーん』
それは、ぼくが見ていた世界にそっくりだったことを覚えてる。
あの時、助けてくれると言ってくれたとき。お兄さんはぼくの心を見ていた。悲しくて、悲しくて。父さんの怒鳴り声と母さんの鳴き声が怖くて。
本当に、あの時の二人を見ているみたいだった。
お兄さんは、笑っていた。冷たい笑顔で、父さんを見下していた。
『また泣けば済むと思いやがって!この馬鹿女が!!』
そう叫ぶと、お兄さんは母さんの人形を叩きつけた。
驚いていると、もう片方の手にはハサミが握られていて―――
まるでその光景を見ていた時のように、ぼくは動けなかった。
しばらくして、お兄さんがボロボロになった母さんの人形を、父さんに突き付けた。
お兄さんは、もう笑っていなかった。
ただ一言、父さんに言い放った。
「お前のせいだ」
あの言葉は、お兄さんのものだった。
それからぼくは何かの拍子に二人に気付かれて、お兄さんにかばうようにして抱きしめられた。
「貴方に子供を預けること、危険です。
普段ならもう去っていましたが、このまま去ればどうなるか知れない。
連れて行きます」
それから遊園地で暮らし始めて一年。
父さんは今、どうしてるんだろう?ぼくのことは忘れて、母さんとよりを戻したんだろうか。それとも、他の人と再婚したのか……。
とんとん、と肩を叩かれて我に返った。
「え、あ、なに?」
お兄さんが、無言で微笑んで、ぼくのクロワッサンを指差している。
ぼーっとしていたせいで、マーマレードがこぼれそうになっていた。急いで頬張ると、お兄さんに笑われた。ウケたらしい。
やっぱり、お兄さんはお兄さんだ。